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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)10175号 判決 1977年2月16日

原告

株式会社金花舎

右代表者

加藤子明

右訴訟代理人

綱取孝治

外一名

被告

長沢道夫

右訴訟代理人

植田兼司

外一名

主文

被告は、原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和四九年一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判<略>

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和四八年四月二日、被告との間で、大要次のような内容の契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

(一) 被告は、原告に対し、被告の有する左記特許権(以下「本件特許権」といい、その特許発明を「本件特許発明」という。)について、範囲・国内全域、期間・一七年間とする通常実施権を設定すること

発明の名称 素材電解鍍金の中間処理方法

出願 昭和四三年四月二七日

(特願昭四三―二八四八一)

公告 昭和四七年五月一二日

(昭和七―一六〇四九)

特許番号 第六六七五二〇号

そして、本件特許発明の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の項の記載は、次のとおりである。

「素材表面に揮発性溶剤で稀釈した熱可塑性接着剤又は合成ゴム系接着剤等を塗布して接着剤薄層を形成し、つぎに該接着剤薄層を乾燥し、該接着剤薄層の上に化学還元法により銀皮膜薄層を析出せしめた後、接着剤薄層を加熱するかもしくは接着剤薄層に該接着剤層を溶解する溶剤を加えることを特徴とする素材電解鍍金の中間処理方法」

(二) 被告は、原告に対し、本件特許発明を原告の製作販売する低発泡スチロール製仏具人天蓋(以下「人天蓋」という。)に実施するためのノウハウの技術指導を行うこと

(三) 原告は、被告に対し、本件契約に基づき、契約当初、権利金名義で金八〇万円、じ後ローヤルテイーとして人天蓋完成品一台あたり金五、〇〇〇円にその製作台数を乗じた金額(ただし月額五万円に満たないときは金五万円とする)を毎月末に支払うこと

2  原告は、被告に対し、本件契約に基づき、右契約締結時に権利金名義で金八〇万円を支払い、その後、昭和四八年四月から同年九月までの間、毎月末日にローヤルテイーとして、毎月金五万円、合計金三〇万円を支払つた。

3(一)  しかしながら、原告の本件契約における意思表示は、その重要な部分において、錯誤があり、無効である。

すなわち、原告の代表取締役Kは、本件特許発明を直ちにしかも容易に人天蓋に実施して、これを商品化出来るものと信じて、本件契約を締結したのであるが、後になつて本件特許発明を直ちに人天蓋に実施することは不能であることが判明した。しかも、原告は、本件契約を締結するにあたり、被告に対し、本件契約の目的が、あくまで原告の人天蓋に本件特許発明を実施することであることを表示して契約を締結したものであり、もし本件特許発明を人天蓋に実施できる見込のないことを知つていたら本件契約を締結しなかつたものである。

(二)  右のとおりであるから、被告は、法律上の原因なく、右2の権利金八〇万円及びローヤルテイー金三〇万円、以上合計金一一〇万円を原告の負担において、利得し、しかも、利得当時、右利得が右のように法律上の原因のないことを知悉していたものである。

(三)  しかして、原告は、無効な本件契約を締結したことによつて右利得の返還だけでは填補されない損害を被つたから、被告は、民法第七〇四条により、原告に対し、右損害を賠償すべき義務がある。

(四)  原告は、次の損害を被つた。

(1) 原告は、被告からの指示により、本件特許発明を実施するために別表記載のとおり、機械類、消耗品、薬品等を購入し、合計金三七万〇、〇五〇円の費用の支出を余儀なくされ、これと同額の損害を被つた。

(2) 被告から本件契約に関するノウハウの技術指導を受けるべく、昭和四八年二月五日ころ及び同年三月六日原告の代表取締役Kが、同年三月二五日同人及び原告の取締役訴外Nがそれぞれ被告方へ出張したが、このため、原告は、交通費合計金四万九、六八〇円の支出を余儀なくされ、これと同額の損害を被つた。

(3) 原告は、被告の指示により、本件特許発明の実施に必要な水道及び床工事を含む改装工事を、訴外共立工業株式会社に注文し、昭和四八年六月一日同訴外会社に対し、右工事代金六九万八、〇〇〇円を支払い、これと同額の損害を被つた。

なお、右各損害の発生は、被告において予見し、又は予見することができたものであつた。

(五)  よつて、原告は、被告に対し、不当利得を原因として、右(二)の利得金一一〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年一月一五日から完済まで民法所定の年五分の利息金の支払を求めるとともに、右(四)の損害金一一一万七、七三〇円及びこれに対する右昭和四九年一月一五日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

4  仮に本件契約が無効ではなく、右請求が認められないとしても

(一) 被告は、本件契約の締結に際し、本件特許発明を人天蓋に実施するために必要な接着剤等の処理剤あるいはその接着方法を知ることができず、従つて本件特許発明は人天蓋に実施することが不可能であつたにもかかわらず、原告の代表取締役加藤子明に対し、人天蓋に本件特許発明を実施することが可能であり、商品的にも充分量産できるように技術指導をする旨を申し入れ、その旨同人を誤信させたうえ、本件契約を締結させたものである。

(二) 以上のように、被告の行為は、原告の権利を侵害した不法行為であるから、原告に対し、原告の被つた損害を賠償すべき義務がある。

(三) 原告は、本件不法行為により、次の損害を被つた。

(1) 原告は、被告に対し、右2のとおり、権利金八〇万円及びローヤルテイー金三〇万円、以上合計金一一〇万円を支払い、これと同額の損害を被つた。

(2) 原告は、右3の(四)、(1)ないし(3)のとおり、合計金一一一万七、七三〇円の損害を被つた。

(四) よつて、原告は、被告に対し、右(三)の損害合計金二二一万七、七三〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年一月一五日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

5  仮に右各請求が認められないとしても、

(一) 被告は、原告に対し、本件契約に基づいて、本件特許発明を人天蓋に実施し、これを商品化するために充分な技術指導等をすべき債務があるのに、これを怠り、ことに本件契約の要諦ともいうべき人天蓋に用いる接着剤の選定及びその接着方法等について契約の本旨に従つた履行を全くしなかつた。

(二) そこで、原告は、被告に対し、再三にわたり、右債務の履行を求めたうえ、昭和四八年一一月一日付書面をもつて、右債務不履行を理由として、右書面到達の日から一四日の経過により、本件契約を解除する旨の意思表示をし、右書面は、同月三日被告に到達したから、本件契約は、右書面到達後一四日を経過した同月一七日限り解除された。

(三) また、被告は、原告に対し、右債務不履行により、原告の被つた損害を賠償すべき義務があるところ、原告は、右3の(四)、(1)ないし(3)のとおり、合計金一一一万七、七三〇円の損害を被つた。

(四) よつて、原告は、被告に対し、本件契約の解除に基づく原状回復義務の履行として、原告が先に支払つた右2の金員合計一一〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年一月一五日から完済まで民法所定の年五分の利息金の支払を求めるとともに、右(三)の損害金一一一万七、七三〇円及びこれに対する右昭和四九年一月一五日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。<以下略>

理由

一まず、本件契約の成否について、判断する。

請求原因1の事実のうち、被告が本件特許権を有すること、原告が昭和四八年四月二日、被告との間で、(三)の約定を締結したことは、当事者間に争いがない。

右事実と<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告会社は、寺院の荘厳具の製作販売等を目的とする株式会社であるが、従来、その主要営業品目である仏具人天蓋をハイ・インパクト・スチロール(低発泡スチロール)を素材として、金型で成型し、その上に純金鍍金を施す方法によつて製作していたところ、この方法によると、鍍金皮膜と素材であるハイ・インパクト・スチロールとの剥離を生じやすく、長年月の使用に耐え得る人天蓋の製作が困難であつたので、右ハイ・インパクト・スチロールに対して密着度の高い鍍金膜を粘着できる方法を求めていたこと

2  ところが、たまたま原告は、本件特許発明があらゆる素材に充分な強度をもつて鍍金膜を粘着できるような技法である旨を聞知し、被告と折衝を重ねた結果、昭和四八年四月二日、被告との間で、次のような内容を骨子とする本件契約を締結したこと

(一)  被告は、原告に対し、本件特許権について、内容・銅張り積層板に対するスルーホール鍍金を除く全分野、期間・一七年間、地域・全国(輸出する行為を含む)とする通常実施権を設定すること

(二)  被告は、原告に対し、本件特許発明に関するノウハウを提供すること

3  本件契約の締結に際し、右2の(二)のノウハウ提供の約定に附帯して、被告は、原告に対し、本件特許発明を原告の製作販売する人天蓋に実施するために、人天蓋の素材であるハイ・インパクト・スチロールの表面に塗布する接着剤及びその塗布方法、塗布された右接着剤薄層上に銀皮膜を析出させる方法等に関するノウハウの技術指導を行う旨を約定したこと

以上の事実が認められ、右認定に反する被告本人尋問の結果部分は、前記各証拠に対比してたやすく信用できず、また、前掲甲第二号証の一(本件契約書)中には、被告が原告に対し、本契約書記載条件が満足された場合に本件特許発明の実施を許諾する旨の記載があるけれども、右契約書は本件特許発明の実施許諾契約それ自体に関するものであることが明らかであるから、右記載をもつて、すでに判示したところを左右するに足りるものとは思料されず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

二次に、請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。

三そこで、原告の錯誤に基づく請求について、判断する。

右一に判示した事実と<証拠>を総合すれば、原告の代表取締役加藤子明は、被告との間で、本件契約を締結するに際し、被告からノウハウの技術指導を受ければ、直ちに人天蓋に本件特許発明を実施できるものと信じ、本件契約の目的が、この点にあることを言明していたこと、ところで、人天蓋に本件特許発明を実施するためには、その素材であるハイ・インパクト・スチロールの表面に塗布すべき接着剤が必要不可欠であるが、本件契約締結当時は、いまだ右のような接着剤は選定されてなく、ただ、選定できる可能性は存在したこと、被告は、本件契約締結後、右接着剤の選定に努力し、昭和四八年七月ころに至り、右接着剤として、住友スリー・エム四六九三及びアドフエーシブ・エスを選定したが、これらは、いまだ研究開発の余地が残されたものであつて、原告に対し、提供されるに至らなかつたこと、この結果、原告は、現在に至るまで、人天蓋に本件特許発明を実施することができなかつたことが認められ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、原告の代表取締役加藤子明は、本件契約により、ノウハウの技術指導を受ければ、直ちに人天蓋に本件特許発明を実施できるものと誤信して、本件契約締結の意思表示をしたものであつて、右契約締結の動機に錯誤があるところ、原告において、右のように人天蓋に本件特許発明を直ちに実施できないことを知つていたならば、本件契約を締結しなかつたものと認定するのが相当である。従つて、本件契約は、その重要な動機に錯誤があり、そして、右術定の事実によれば、右動機は表示され、被告もこれを知つていたことは明らかであるから、原告の本件契約における意思表示は、要素の錯誤によるものであり、無効であるというべきである。

以上のとおりであるから、被告は、本件契約に基づき、原告から支払を受けた権利金八〇万円及びローヤルテイー金三〇万円、以上合計金一一〇万円を法律上の原因なく、原告の負担において、利得したものであるので、その返還義務のあることは明らかである。

次に、原告は、被告が右利得当時、法律上の原因のないことを知悉していたものであるから、損害賠償の義務がある旨を主張するが、被告が悪意の受益者であつたことを認めるに足りる的確な証拠はなく、かえつて、すでに判示したところからすれば、被告は、右利得当時、原告の製作する人天蓋の素材であるハイ・インパクト・スチロールの表面に塗布すべき接着剤を選定することができ、近い将来、人天蓋に本件特許発明を実施することが可能であると考えていたものと解される。従つて、被告が悪意の受益者である旨の原告の主張は、理由がないから、右主張事実の存在を前提とする原告の損害賠償の請求は、その余の点について、判断するまでもなく、理由がない。

四次に、原告の詐欺による不法行為に基づく請求について、判断する。

<証拠>によれば、被告は、本件契約を締結するに際し、原告会社代表取締役加藤子明に対し、本件特許発明を人天蓋に実施することが可能である旨を申し向けたことが認められ、右認定に反する被告本人尋問の結果部分は、たやすく信用できず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

ところで、原告は、本件契約締結当時、人天蓋に本件特許発明を実施することが不可能であつた旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、右一に認定した事実によれば、右当時、原告の製作する人天蓋の素材であるハイ・インパクト・スチロールの表面に塗布すべき接着剤が選定され、人天蓋に本件特許発明を実施する可能性があつたことは明らかであるから、原告の右主張は、理由がない。

以上のとおりであるから、被告は、本件契約の締結について、原告を欺罔する意思があつたとはいえないので、右欺罔意思の存在を前提とする原告の損害賠償の請求は、その余の点について、判断するまでもなく、理由がない。

五次に、原告の債務不履行に基づく請求について、判断する。

右三に認定したとおり、本件契約は、原告の意思表示の要素の錯誤により、無効であるから、被告は、本件契約に基づき、原告に対し、本件特許発明のノウハウを提供する債務を負うべきものではない。従つて、被告の右債務の存在を前提とする原告の損害賠償の請求は、その余の点について、判断するまでもなく、理由がない。

六してみれば、原告の本訴請求は、被告に対し、右三の不当利得金一一〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四九年一月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、正当として、認容し、その余は失当として、棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言について、同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(佐藤栄一 木原幹郎 塚田渥)

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